本日御嶽海の昇進伝達式が行われ、『大関御嶽海』が誕生した。
御嶽海と言えば5年程前から三役へ定着し、その頃から『大関候補』と呼ばれていたが、貴景勝、朝乃山、正代と次々に先を越されてしまった。
今場所で3回目の優勝を果たすなど、力量は誰もが認めるところだが、三役では一桁勝ち越しに終わることも多く、中々殻を破れずにいた。
御嶽海は『三役連続在位17場所』と若の里に次ぐ歴代2位の記録を持っており、時折平幕に陥落することはあっても、平成29年からは三役に在位することが大半だった。
御嶽海は初場所で幕内在位37場所目であり、関脇在位18場所、小結在位10場所の三役在位28場所目であった。
御嶽海の幕内における三役在位場所の割合は『0.757』である。
大関昇進を目指す力士ならば、この数値が多ければ多い程優秀かと言われたらそうとも言い難い。
例を挙げると新入幕から最短6場所で大関へ昇進した大鵬は、大関昇進までの三役在位数は3場所(関脇2場所、小結1場所)のため、割合にすれば『0.5』となる。
次に豊山の7場所であるが、大関昇進までの三役在位数は3場所(関脇2場所、小結1場所)のため、割合は『0.429』となる。
そのため昇進の早い力士は4割~5割程度になることが多い。
逆に1割~2割台も存在するが、これは概ね平幕在位が長かったが、爆発力を生かして一気に昇進した力士に多い。
平成以降では霧島、栃ノ心などが該当する。
ちなみに朝乃山、正代も1割台だが、幕内在位は朝乃山が16場所、正代が28場所と極端に多いわけではないが、これも一回でチャンスをモノにした例であると言える。
そして御嶽海に話は戻るが、御嶽海は7割台とかなり高い割合である。
周知の通り、御嶽海は実力者でありながら中々大関昇進を果たせず、関脇で燻っていたと言える存在である。
では年6場所制となった昭和33年以降で7割台を残して大関昇進を果たした力士は何名いるのか。
またその力士達の大関昇進後の活躍はどのようなものだったのかをまとめた。
まず7割台は以下の力士である。
大関昇進までの幕内在位数 |
大関昇進までの三役在位数 |
三役在位割合 |
|
北葉山 |
16場所 |
12場所 (関脇9・小結3) |
0.75 |
魁傑 |
21場所 |
15場所 (関脇9・小結6) |
0.714 |
18場所 |
13場所 (関脇9・小結4) |
0.722 |
|
14場所 |
11場所 (関脇9・小結2) |
0.786 |
|
40場所 |
30場所 (関脇19・小結11) |
0.75 |
|
42場所 |
32場所 (関脇21・小結11) |
0.762 |
|
10場所 |
7場所 (関脇4・小結3) |
0.7 |
|
41場所 |
30場所 (関脇22・小結8) |
0.732 |
|
御嶽海 |
37場所 |
28場所 (関脇18・小結10) |
0.757 |
朝青龍は新入幕から2場所連続9勝で、3場所目には小結昇進と番付運も良く、さらにはスピード出世も果たしているため、7割台の中でも異質な存在である。
北葉山、武蔵丸は似たような境遇であり、三役昇進後は連続で在位しており、コツコツと勝ち越しを続けていた中、大勝を絡めて大関昇進を果たしている(しかし北葉山は3場所合計28勝ではある)。
そのため幕内在位数と三役在位数はそこまで多くない中で大きな差がなく7割台となっている。
魁傑、北勝海は三役へ昇進して何度か負け越しを喫しているが、定着してから間もなく大関昇進を果たしているので、上記2名と似たような流れである。
そして今回の御嶽海と似たような境遇が武双山、魁皇、琴光喜である。
皆幕内在位数40場所前後、三役在位数30場所前後となっている。
では大関昇進以降の成績はどうなっているか。
昇進年齢 |
大関在位数 |
大関成績(勝率) |
大関在位中の優勝回数 |
最高位 |
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北葉山 |
26歳0ヶ月 |
30場所 |
250勝179敗21休 (0.583) |
1回 |
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魁傑 |
26歳11ヶ月 |
9場所 |
70勝65敗 (0.519) |
0回 |
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23歳1ヶ月 |
5場所 |
56勝19敗 (0.747) |
1回 |
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22歳8ヶ月 |
32場所 |
353勝127敗 (0.735) |
5回 |
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28歳1ヶ月 |
27場所 |
186勝148敗60休 (0.557) |
0回 |
||
28歳0ヶ月 |
65場所 |
524勝328敗119休 (0.615) |
4回 |
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21歳10ヶ月 |
3場所 |
38勝7敗 (0.844) |
2回 |
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31歳3ヶ月 |
17場所 |
141勝104敗10休 (0.576) |
0回 |
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御嶽海 |
29歳1ヶ月 |
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ここでも朝青龍は別格のためあまり参考にはならないが、北勝海、武蔵丸は昇進年齢も22~23歳と比較的早く、最終的には横綱昇進も果たしている。
北葉山、魁傑が26歳での昇進(とはいっても魁傑は27歳に近いが)であるが、活躍の度合いは異なる。
北葉山は昇進から2年程はあまり活躍できずにいたが、その後は二桁勝利も挙げるようになり、優勝も果たしている。
魁傑は大関昇進前に2回の優勝は果たしているが、1度大関陥落も経験しており、大関復帰してからも活躍できずに短命大関に終わってしまった。
そして御嶽海とほぼ同じ境遇の3名。
まず武双山は長年大関候補と呼ばれながら中々昇進を果たせず、平成8年に三役で10勝→12勝→10勝を挙げても昇進は見送られた。
大関昇進を果たしたのはそれから4年後であるが、大関昇進後は1度だけ12勝を挙げて優勝争いしたが、それ以外は最高成績10勝に留まり、大きな活躍を果たしたとは言い難い結果となった。
次に魁皇だが、ライバル武双山とともに長年大関候補と呼ばれながら大関取りに何度も失敗し、武双山が大関昇進を果たした2場所後に魁皇も昇進を果たしている。
昇進後は4回の優勝(合計5回)、最強大関とも呼び声の高い存在となった。
晩年は幕内勝利数、通算勝利数など数々の記録更新を樹立した(現在はともに白鵬に抜かれているが)。
そして琴光喜だが、大関昇進前は朝青龍とライバル関係にあったが、平成13年~14年に13勝(優勝)→9勝→12勝の3場所34勝を挙げたものの大関昇進は見送りとなり、それ以降は平幕と三役の往復力士となってしまった。
平成19年に遅咲ながら大関昇進を果たしたが、昇進後は最高成績12勝が1度だけであり、大きな活躍には至らなかった。
昇進年齢も加味すると御嶽海は武双山、魁皇の2名に最も近いと言えるが、武双山と魁皇では大関昇進後の活躍に差が生じていると言っていいだろう。
引退年齢も武双山が32歳、魁皇が38歳であるため、ここでも大きな差となっている。
上記の通り出世スピードによる問題、昇進年齢による問題もあるため三役在位割合が7割台と言っても、色んなパターンが存在するため予想は難しいのだが、現状言えるのは武双山、魁皇、そして琴光喜も比較的近い存在であり、この3名でも活躍に差が生じているということである。
御嶽海はこの先どうなっていくのだろうか。
上記3名が果たせなかった横綱昇進は果たすことが出来るのだろうか。
今後の御嶽海の活躍に期待である。