きょうへいくんの大相撲日記

幼少期より大相撲を愛し、勝手に語ります。

316. いつの間にかチャンスをモノにするモンゴル第4の男、鶴竜

横綱鶴竜が本日引退を表明した。

ここ数場所の具合からいつ引退を表明してもおかしくないとは思っていたが、来場所に進退を懸ける旨の発言をしており、さらには場所中の引退表明ということもあり、驚かされる結果となった。

本日14時15分頃、職場でたまたまテレビに目を向けるとこのニュースが目に入ったので、思わず『えっ!?』と声を上げてしまった。

鶴竜本人としては最後の取り組みが腰砕けで敗れた一番では納得がいかないという気持ちもあっただろうが、注意の決議を受けた後の今年の初場所も休場し、さらには今場所もまさかの休場となり、批判は避けられないと感じたのだろう。

 

この力士の相撲技術はピカイチであった。

しっかりとした右四つの型、左前ミツから頭をつける相撲、もろ差しの巧さ、出し投げの巧さ、そして突っ張りの威力もあり、組んでも良し離れても良しの力士であった。

しかしある意味では鶴竜の代名詞ともなっていた悪癖の『引き・叩き』により墓穴を掘ることが多く、現役力士では御嶽海、北勝富士、妙義龍、引退した力士では栃煌山嘉風辺りにそこをつけ入れられて敗れることが多かった。

そのため良い時の鶴竜は『技能相撲』、悪い時の鶴竜は『器用貧乏』であると感じていた。

 

鶴竜の成績をざっとまとめると(順位は昭和33年以降横綱に昇進した力士の人数)

・優勝回数:6回(14位タイ/28人中)

横綱在位:41場所(10位/28人中)

横綱勝率:0.695(21位/28人中)

横綱休場数:227休(1位/28人中)

・金星配給:33個(8位タイ/28人中)

歴代横綱と比較し、優勝回数は並程度、勝率に関しては平均より下であり、横綱休場数と金星配給においては順位が上であるほど汚点であるため、決して強い横綱とは言い難い存在だった。

横綱在位数は歴代10位とはいえ、休場数が物語る通り、皆勤率は54%であるため晩年の休場が汚す形となっている。

しかし優勝44回を数える大横綱白鵬と同時期に活躍し、さらにはこの時期実力的にはナンバー2とも呼べる日馬富士も9回優勝を果たしている中で、6回の優勝は凄いことであるし、決して弱い横綱とは言えない存在である。

現に平成29年名古屋場所以降、白鵬が皆勤して優勝を逃したのは2場所であるが、いずれもその場所は鶴竜が制している。

そして現役3大関との対戦成績は

対正代:13勝0敗

対朝乃山:2勝2敗(内1敗は不戦敗)

貴景勝:4勝1敗

土俵上では全員に勝ち越しており、正代戦に至っては完封である。

横綱としての意地を十分に見せつけていた。

 

この力士は平成20年頃から上位へ定着し始めたが、正直この頃は技能派の力士であるが、出世の面では名関脇で終わるレベルだろうと予想していた。

それは朝青龍白鵬と当時の2強相手に歯が立たなかったからである。

結局朝青龍戦は7戦全敗に終わり、白鵬戦も初顔合わせから20連敗を喫した。

平成23年頃から三役でも二桁を挙げるほど力をつけてきたが、それでも数場所続けて二桁勝つ力量はないと感じていた。

平成23年九州場所平成24年初場所と2場所連続10勝を挙げたが、これに関しても二桁を挙げたとはいえギリギリのラインであり、爆発力には欠けていたため、翌場所は大関昇進場所という空気にはあまりなっていなかったと記憶する。

なぜならこの時代すでに大関は5人在位しており、さらにこれは私自身の考えだが、鶴竜が13勝以上するイメージが全く浮かばなかったこともある。

しかし蓋を開けてみれば14日目を終了した時点で13勝を挙げ、いつの間にか大関昇進ムードが漂う展開となっていた。

千秋楽は本割で豪栄道に敗れ、優勝決定戦でも白鵬に敗れ逆転優勝を許してしまったが、可能性の少ないチャンスを見事にモノにして、場所後大関昇進を果たし、史上初となる6大関時代へ突入した。

鶴竜大関昇進は驚きを隠せなかったが、しかしこの段階でも大関としての力量に疑問を抱いていた。

それが的中したか、大関昇進以降1年半程は満足な成績を残すことはできなかった。

そしてこの間、横綱昇進において騒がれていたのが稀勢の里だった。

平成25年夏場所で13勝、続く名古屋場所白鵬の連勝を43連勝で止め、さらに九州場所も当時の2横綱白鵬日馬富士を下して13勝を挙げていた。

久しぶりの日本出身力士の優勝及び日本出身横綱誕生を大きく期待されており、平成26年初場所稀勢の里の綱取りが話題となっていた。

この当時まだ平成以降では『連覇以外で横綱へ昇進したケースは存在しない』ため、仮に稀勢の里が優勝しても昇進は如何なものかという声も上がっていた。

その中初場所は期待の稀勢の里がまさかの負け越し、そして鶴竜は14勝を挙げ、白鵬との優勝決定戦には敗れたが、同点の成績を果たした。

そして翌春場所鶴竜が綱取りとなり、見事14勝で優勝を果たし、平成以降では初となる『連覇なしによる横綱昇進』を果たした。

ある意味では稀勢の里のおかげで昇進できたと言っても過言ではなく、大関昇進時同様いつの間にかチャンスをモノにした。

しかしこの時も私は勢いだけで昇進しただけだと思っており、昇進時の年齢が28歳と決して若くないため、短命横綱で終わる可能性は高いと思っていた。

そして横綱昇進後しばらく結果を残すことはできず、横綱昇進後初優勝となった平成27年秋場所も優勝は果たしたが、日馬富士が全休、白鵬が途中休場した中、1人横綱で12勝と俗にいう低次元優勝であったため不安を拭い去ることは出来なかった。

その後も横綱としては満足のいく結果を中々残すことは出来ず、平成29年には一度も優勝を果たすことが出来ず、一時期は稀勢の里よりも先に引退が示唆されていた。

しかし復活を懸ける平成30年にて春場所夏場所と自身初となる連覇を果たした。

この頃から私は鶴竜に対する認識が変わっていった。

元々この力士は上記の通り組んでも良し離れても良しの力士であったが、この頃から廻しに拘らず、頭で当たって突き放して勝負をつけるという内容が増えていった。

この時32歳になっていたが、横綱がこの年齢になって相撲内容を変化させ、さらには結果に結びつけるという辺り、やはりこの力士は巧さと強さを兼ね備えた力士なのだと感じさせられた。

近年は報じられている通り休場が重なり、ついには横綱休場数歴代1位という汚名までつけられる結果となった。

上記の通り、万全な状態で土俵の上で散りたいという気持ちもあっただろうが、腰痛は慢性であり、数年前から怪我をしている肩においても完治はないだろう。

年齢を考慮しても厳しいと言わざるを得なかった。

日本国籍を取得しなければ親方として協会に残ることが出来ないため、晩年は時間稼ぎとも見受けられるような形で在位していたが、昨年日本国籍を取得し、引退後の活路が見えた時点で安堵な気持ちもあっただろう。

 

モンゴル出身横綱朝青龍白鵬絶対王者、そして負けん気の強い日馬富士

この3名と比較するとやや地味ではあったが、上記の通り相撲技術はピカイチであり、人柄にも定評があるとされていた。

ぜひともこの相撲技術を後世に伝えて、第2の鶴竜誕生を期待したところである。

大関昇進時、横綱昇進時といつの間にかチャンスをモノにするモンゴル第4の男、鶴竜

本当にお疲れさまでした。