きょうへいくんの大相撲日記

幼少期より大相撲を愛し、勝手に語ります。

241. 琴奨菊よ、少し考えてはくれないだろうか。

はじめにお断りさせていただきますが、琴奨菊ファンの方々には気分を害する内容になっていると思います。

あくまで私個人の物差しで話を進めるので、この点に関してはご容赦いただきたいと思います。

大関琴奨菊が現役を続行し、再起をかけるとのことである。

本日早朝、職場にてこの情報を目にしたのだが、そのとき私は『はっ?』と思わず声を上げてしまった。

今場所何度か記載しているが、私個人としては琴奨菊十両の土俵など見たくない。

『引き際は自分で決めるもの』
『周りに何を言われても気にするな』
『納得いくまでやったらいい』
といった意見が多く聞かれるが、どうにも番付の重みというものが薄れて悲しい限りである。

この考えならば白鵬に対して何も言えなくなると思うのだが。

確かに横綱大関という番付の差はある。

とはいえ両番付ともに大相撲において看板を背負う立場にある番付である。

以前も記載したが、照ノ富士は例外中の例外である。

照ノ富士自身は引退を考えており、それを師匠に留意された形である。

そもそも当人の進退に関して師匠が留意するというのもややおかしい面もあるだが。

考え方を変えても、照ノ富士の場合、力量の衰えではなく、怪我や内部疾患の問題であり、また年齢も若かったため、再起出来る可能性も秘められていた。

しかし琴奨菊の場合、完全に力量の衰えによるものである。

今場所の休場、負け越しに関しては怪我が原因とも言えるが、そもそも力量の衰えにより3年前に大関からは陥落している。

そして何が納得できないかというと『今場所何のために再出場したのか?』という点である。

もちろん幕内残留に望みを繋ぐというのが大前提ではあるだろうが、十両に陥落しても現役続行という決断に至るならば、再出場などせずに怪我の治療に専念することが最善だろう。

再出場して明らかに引退直前の相撲しか取れない状態で何とか出来ると思っていたのだろうか。

そんな考え方を持っていたならば、根本から大間違いである。

再出場してくるならばそれなりの状態で戻ってくるのが対戦相手に対しても、客に対しても最低限のマナーだろう。

これに関しては元大関という肩書きは関係ない。

現に今場所再出場してきた霧馬山は、再出場してからしっかり相撲を取り切って全勝した。

怪我の程度は異なるだろうが、そもそも重症ならば戻ってくるなという話だ。

『燃え尽きるまでやる』
これは一つの美学かもしれないが、元大関の肩書き、今場所の琴奨菊の行動、言動を考えると支離滅裂である。

大関としてだけではなく、幕内最高優勝を果たした栄光もある。

琴奨菊よ、少し考えてはくれないだろうか。