早いもので、あと1週間で大相撲名古屋場所が初日を迎える。
場所前の情報は第一人者 白鵬、先場所の覇者 朝乃山、そして先場所新大関の貴景勝に関してが大半である。
今場所角番となる貴景勝だが、実践的な稽古は出来ておらず、休場も視野に入れているとの情報である。
その一方で、出場には意欲的という情報もあるため詳細は不明だが、それでも稽古不足であることは事実だろう。
無理をして怪我を悪化させるのだけは避けてほしいため、休場という決断に至っても私は何も不満に思わない。
ちなみに年6場所制となった1958年以降において『大関2場所目の角番』は貴景勝で『9例目』である。
過去の事例を以下の表にまとめた。
1場所目 |
2場所目 |
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豊山※ |
7勝8敗 |
13勝2敗 |
前の山 |
全休 |
9勝6敗 |
2勝6敗7休 |
9勝6敗 |
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増位山 |
3勝5敗7休 |
8勝7敗 |
曙 |
全休 |
9勝6敗 |
3勝8敗4休 |
全休(公傷) |
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全休 |
4勝11敗 |
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6勝9敗 |
8勝7敗 |
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5勝2敗8休 |
9勝6敗 |
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3勝4敗8休 |
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現行の『2場所連続負け越しで大関陥落』という規定は、1969年7月以降から制定されたので、※で記している豊山はそれ以前の記録(1963年春・夏)のため、2場所目が角番には該当しないのだが、参考記録として記載した(ちなみにこの当時は『3場所連続負け越しで大関陥落』である)。
大関在位2場所目で角番となり、負け越して関脇へ陥落した力士は武双山だけである。
武双山は翌場所『特例復帰』の10勝を挙げて大関復帰を果たしている。
ちなみに千代大海は、2場所目を全休しているが公傷場所のため、翌大関在位3場所目が角番となり、10勝して角番を脱出している。
現行のルールならば千代大海は、2場所目に負け越しとなり、翌場所関脇へ陥落する事になる(結果的に翌場所10勝しているため特例復帰が可能)。
2場所目に角番となっている力士は、1場所目は雅山を除き全員休場となっている。
そして2場所目は全員『一桁白星』に終わっている。
正直大関としては物足りない成績であり、角番脱出に精一杯という印象である。
まだ出場するか否かは不明だが、貴景勝も場所前の情報を聞く限りでは稽古不十分であり、厳しいと言わざるを得ないだろう。
まずは怪我をしっかり完治させ、万全な状態で場所に臨んでもらいところである。
十分に力を発揮すれば、仮に今場所全休して関脇へ陥落しても、特例復帰の10勝以上を果たすことが可能だろう。
最後に年6場所制となった1958年以降に昇進した大関(後に横綱へ昇進した力士も含む)の1場所目、2場所目の成績を以下にまとめた。
いずれも8~11勝に集中していると言える。
そして『勝率』『優勝人数』『休場数および負け越し人数』は以下の通りである。
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1場所目 |
2場所目 |
勝率(勝) |
9.02 |
9.48 |
優勝人数(人) |
4 |
5 |
休場数 / 負け越し数(人) |
8 / 10 |
5 / 7 |
※2場所目の成績は貴景勝を除いて算出
私の勝手な想像では1場所目の方が勝率が上だと考えていたが、休場数の関係で2場所目の方が上となっている。
また優勝人数も2場所目のほうが上回っているが、2場所目に優勝を果たしている5人はいずれも後に横綱へ昇進している(北の湖、若乃花2、旭富士、貴乃花、朝青龍)。
ちなみに1場所目、2場所目と優勝できなかった大関は51名存在するが、そのうち20名が後に横綱へ昇進している。
後の大横綱『大鵬』『千代の富士』もこの中に含まれているため、『早く優勝=横綱昇進』とは一概に言えないようである(結果的に千代の富士は3場所目に優勝を果たしてその翌場所には横綱へ昇進しているが)。
貴景勝の大関2場所目はどのような結果が待ち受けているだろうか。
勇気ある決断も必要である。
はてさて