きょうへいくんの大相撲日記

幼少期より大相撲を愛し、勝手に語ります。

71. 大関2場所目の成績

早いもので、あと1週間で大相撲名古屋場所が初日を迎える。

場所前の情報は第一人者 白鵬、先場所の覇者 朝乃山、そして先場所新大関貴景勝に関してが大半である。

今場所角番となる貴景勝だが、実践的な稽古は出来ておらず、休場も視野に入れているとの情報である。

その一方で、出場には意欲的という情報もあるため詳細は不明だが、それでも稽古不足であることは事実だろう。

無理をして怪我を悪化させるのだけは避けてほしいため、休場という決断に至っても私は何も不満に思わない。

 

ちなみに年6場所制となった1958年以降において『大関2場所目の角番』は貴景勝で『9例目』である。

 

過去の事例を以下の表にまとめた。

四股名

1場所目

2場所目

豊山

7勝8敗

13勝2敗

前の山

全休

9勝6敗

大受

2勝6敗7休

9勝6敗

増位山

3勝5敗7休

8勝7敗

全休

9勝6敗

千代大海

3勝8敗4休

全休(公傷)

武双山

全休

4勝11敗

雅山

6勝9敗

8勝7敗

栃ノ心

5勝2敗8休

9勝6敗

貴景勝

3勝4敗8休

 

 

現行の『2場所連続負け越しで大関陥落』という規定は、1969年7月以降から制定されたので、※で記している豊山はそれ以前の記録(1963年春・夏)のため、2場所目が角番には該当しないのだが、参考記録として記載した(ちなみにこの当時は『3場所連続負け越しで大関陥落』である)。

大関在位2場所目で角番となり、負け越して関脇へ陥落した力士は武双山だけである。

武双山は翌場所『特例復帰』の10勝を挙げて大関復帰を果たしている。

ちなみに千代大海は、2場所目を全休しているが公傷場所のため、翌大関在位3場所目が角番となり、10勝して角番を脱出している。

現行のルールならば千代大海は、2場所目に負け越しとなり、翌場所関脇へ陥落する事になる(結果的に翌場所10勝しているため特例復帰が可能)。

2場所目に角番となっている力士は、1場所目は雅山を除き全員休場となっている。

そして2場所目は全員『一桁白星』に終わっている。

正直大関としては物足りない成績であり、角番脱出に精一杯という印象である。

まだ出場するか否かは不明だが、貴景勝も場所前の情報を聞く限りでは稽古不十分であり、厳しいと言わざるを得ないだろう。

まずは怪我をしっかり完治させ、万全な状態で場所に臨んでもらいところである。

十分に力を発揮すれば、仮に今場所全休して関脇へ陥落しても、特例復帰の10勝以上を果たすことが可能だろう。

 

最後に年6場所制となった1958年以降に昇進した大関(後に横綱へ昇進した力士も含む)の1場所目、2場所目の成績を以下にまとめた。

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大関1場所目、2場所目成績

いずれも8~11勝に集中していると言える。

そして『勝率』『優勝人数』『休場数および負け越し人数』は以下の通りである。

 

1場所目

2場所目

勝率(勝)

9.02

9.48

優勝人数(人)

4

5

休場数 / 負け越し数(人)

8 / 10

5 / 7

※2場所目の成績は貴景勝を除いて算出

 

私の勝手な想像では1場所目の方が勝率が上だと考えていたが、休場数の関係で2場所目の方が上となっている。

また優勝人数も2場所目のほうが上回っているが、2場所目に優勝を果たしている5人はいずれも後に横綱へ昇進している(北の湖若乃花2、旭富士貴乃花朝青龍)。

ちなみに1場所目、2場所目と優勝できなかった大関は51名存在するが、そのうち20名が後に横綱へ昇進している。

後の大横綱大鵬』『千代の富士』もこの中に含まれているため、『早く優勝=横綱昇進』とは一概に言えないようである(結果的に千代の富士は3場所目に優勝を果たしてその翌場所には横綱へ昇進しているが)。

貴景勝大関2場所目はどのような結果が待ち受けているだろうか。

勇気ある決断も必要である。

はてさて