名古屋場所初日まであと4日。
各力士の状態も気になる所だが、白鵬の『モンゴル国籍離脱』に関する情報を耳にした。
これにより近い将来、白鵬が親方になることがほぼ確定した(まさか日本国籍を取得して親方にならないということはないだろう)。
そして昨日、名古屋場所の情報収集をしている中で以下の記事が気になった。
簡潔に言えば、記録上は大横綱だが、素行により一代年寄を認めるのはどうかという旨の内容である。
そもそも一代年寄とは、現役時代の功績が著しかった横綱が、その横綱一代に限って認める年寄名跡である。
一代限りのため譲渡・継承は出来ないが、一代年寄の名跡と別に一般の年寄株を一つ保有することが認められる。
歴代の権利取得者は、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花の4名であり、千代の富士は辞退している。
『現役時代の功績が著しかった横綱』とされているが、厳密な権利取得条件は存在せず、この4名から考えると『優勝回数20回以上』は一つの目安と言える。
そのため単純に考えれば、日本国籍を取得した白鵬ならば歴代の権利取得者の記録を大きく凌ぐ記録を保持しているため、権利取得条件は満たしているということになる。
しかし近年の『万歳三唱』『三本締め』の問題。
取り組みでは『張り差し』『かちあげ』『ダメ押し』の問題。
これらを考慮すると『品格』という面で拙劣であり、一代年寄を認めるのは如何なものかということである。
ここから先は私個人の考えを記載する。
私の思い入れ、考え方で話を進めるため、この点に関してはご容赦いただきたい。
各々の思い入れ、考え方に関して否定することはないのでご理解いただきたい。
まず単刀直入に白鵬の一代年寄に関しては『あり』だと考えている。
優勝回数、通算勝利数、幕内勝利数、双葉山の69連勝には一歩届かなかったものの年6場所制以降最多となる63連勝など、もう二度と破られることがないであろう数々の大記録を樹立した。
そして『野球賭博問題』『八百長問題』と大相撲暗黒期を『絶対的な強さ』で牽引し、どん底の大相撲界を救ってくれた。
白鵬がいるから今の大相撲が成り立っていると言っても過言ではない。
それだけの功労者に対して、当時のファンは『相手が弱いから』と意見し、白鵬の強さを称えることがほとんどなく、白鵬に対して感謝の気持ちはほとんどなかっただろう。
2015年秋場所、横綱として初めて休場し、そこから絶対的強さにやや陰りが見え始めてきたが、相撲内容を工夫することで優勝回数を重ねていった。
その一つの形が上記の問題にも挙げられている『張り差し』『かちあげ』である。
『横綱として相応しくない』などの声が挙がっていたが、これに関しては工夫を凝らさない対戦相手にも問題があると感じていた。
本来張り差しは脇が甘くなるため、リスクも伴う立ち合いである。
しかしそれに対して無策で挑む力士が多く、白鵬が順調に白星を積み重ねるのも相まって、批判の対象になってしまったと私自身は考えていた。
そして『万歳三唱』『三本締め』に関してだが、確かに万歳三唱は当時暴力事件が解決していない中での事だったため、余計な行為だっただろう。
しかし三本締めに関してはどうだろうか。
これに関しても『余計なこと』といえばそれまでなのだが、コアな大相撲ファンですら『何がダメか説明してみろ』と言われれば難しい問題だったと思う。
そもそも大相撲ファンですら『表彰式のその後』をいまいち把握していないからである。
だからこの問題に関しては、マスコミも喰い付きが悪かったと認識している。
もちろん『三本締めが問題視された』『けん責処分』に関しては報道されたが、その間に関しては誰も深く解析することはなく、珍しく『事実を報道するだけ』に留まった。
上記を踏まえると、これらの一件で一代年寄の権利が与えられないのは、白鵬に対して感謝の気持ちが薄いと考えている。
私の中で白鵬が起こしてきたことに関して問題視することは
①ダメ押し
②2015年初場所後の『子供でもわかる』発言
③2017年九州場所11日目嘉風戦の『自身が負けたあとの物言いの要求』
以上3点である。
まず①のダメ押しに関しては、横綱云々ではなく、力士としてやってはいけない行為である。
横綱になってから問題視されるようになってきたが、実は若手時代からしばし見受けられていた行為である。
単純に考えて、ダメ押しは対戦力士、観客も巻き込む危険行為であり、事実 井筒親方(元 逆鉾)がダメ押しされた力士が上から降ってきて大怪我をしてしまった。
次に②の『子供でもわかる一番』発言だが、2015年初場所13日目『白鵬-稀勢の里』の取り組みに関してである。
これに関して振り返ると、この一番に白鵬は歴代最多33回目の優勝が懸かっていた。
稀勢の里の土俵際の突き落としにより、両者同体と判定され取り直しとなった。
結果的に取り直しの一番を制して優勝を果たしたが、千秋楽の翌日のインタビューにて『子供でもわかる一番』と発言し、審判部を批判したことで物議を醸した。
当時私はこの発言に対して、さすがに正当化することは許されないことだと考えていた。
そう思うだけならば良いだろう。
しかし間違っても『公の場で発言することではない』と感じていた。
そして最大の問題点が③の『自身が負けたあとの物言いの要求』である。
この一番に関しては『翌日から出場停止にするべきだ』と感じたほどだった。
両拳をついている嘉風に対して自分のタイミングで立ち合い、そして張り差しまでやっておいて、極めつけは物言いを要求するという悪態・醜態であった。
私自身許容範囲である問題も、範囲外の問題でも共通することは上記でも少し記載しているが『余計なこと』である。
『万歳三唱』『三本締め』ともに白鵬の考え方としては『ファンサービスの一環』だっただろう。
ダメ押しに関しては勝負がついたあとの『余計な危険行為』。
②、③に関しては『余計な発言』。
歴代の一代年寄取得権利者である大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花を振り返ってみると、どの横綱も一時代を築いた大横綱であり、力量に関して不服がある者は間違いなく存在しないだろう。
しかし『品格』に関して考えるとどうだろうか。
例を挙げると北の湖だが、現役時代の北の湖は『憎たらしいほど強い』『勝つ度嫌われた』という逸話があった。
そして負けた相手には手を差し伸べないことで有名だった。
これは『負けた相手に手を差し伸べるのは失礼』という北の湖の美学が存在していたためである。
しかしこれを当時のファンはどう思っていただろうか。
今となっては『美学』だが、当時はそう思っていないファンも多かったと思う。
私はリアルタイムにおける北の湖全盛期を知らないため、憶測でしかないのだが。
一代年寄ではないが、曙も現役時代は『若貴のライバル』として立ちはだかり『ヒール』としての認識が大半だった。
曙が負ければファンは大歓声をあげ、勝てばため息をつく。
現役時代のファンの言動から考えると『曙は品格に優れた横綱である』と認識している者は存在しないと言っても過言ではないだろう。
大半が『ヒール』としての認識であり、『品格』に対しては見向きもしていなかっただろう。
そして引退後には『日本人よりも日本の心を持った横綱』と品格面において称されるようになった。
要は品格に関して言えることは『後付け』による影響も大きいと思う。
もちろん全ての力士がそうではないのだが『品格』という意味を把握している者も少ないことも事実である。
そしてこれからの白鵬に求められることは『余計なことをしない』ことである。
自身が勝ってもため息をつかれ、負ければ大歓声があがる。
曙と似たような境遇だが、それは白鵬の力量をわかった上での言動である。
白鵬が休場している場所は盛り上がりに欠けていることは、誰もが感じていることである。
自身が巻いた種も大きく、何をしても批判の対象となってしまっているため、とにかく『余計なことをしない』ことに徹してほしいと願っている。
上記記事のタイトルの通り、一代年寄の承認は今後の素行次第とも言える。
しかし今後の素行によっては、それも薄れてしまう可能性がある。
現に世間はそうなりつつある。
『余計なこと』をして大横綱の名を汚すのだけはやめていただきたい。
『最強白鵬』という認識だけを残し、今後も精進していただきたいと切に願っている。