初場所が終了し、大相撲ファンの間では『大関に関する議論』が色々と展開されている。
私も幼い頃から、横綱、大関の昇進に関してはそれなりに引き出しを持っている自信がある。
そこで今回
『大関昇進に関して』
『大関在位に関して』
これらにスポットを当てて記載していきたいと思う。
相当長くなるので3部に分けて記載していきたいと思う。
まず先日千秋楽を迎えた初場所だが、場所前から注目を集めていた力士の1人が、九州場所を制覇した貴景勝であった。
場所前から
『大関取りなるか?』
『大関昇進の33勝にはあと11勝』
などと報道されていた。
しかし場所が進んでも昇進の話題にてそれほど盛り上がることなく、14日目に目安と言える11勝目をあげても審判部は『千秋楽の一番を見てから』という判断を下した。
千秋楽は豪栄道に敗れ、その結果来場所の大関昇進は果たすことが出来なかった。
御嶽海のように上位休場の中優勝を果たし、翌場所勝ち越しが精一杯という展開も目にしているため、勢いだけの昇進を抑えたいという点では私も納得できる。
しかし今回の審判部の結論は『新関脇だから』というものであった。
確かに年6場所制となった1958年以降、関脇を1場所で通過した力士は1人も存在しない。
だからといってそれだけを理由にするのは些か納得出来ない部分も多い。
そもそも大関昇進の規則は存在しない。
よく耳にする『3場所合計33勝』というものは、マスコミの影響により広まったものであり規則ではない(協会は否定しているとまで言われている)。
そのため昭和初期では『30勝前後』が1つの昇進基準であり、徐々に厳しくなり昭和後期~平成初期頃は『33勝以上』が目安となっていた。
1994年夏場所~1999年初場所まで大関昇進が途絶えていたため、逆転優勝の勢いや期待度を込めて千代大海が32勝で昇進し、それを皮切りに1999年~2000年の間に5人の大関が誕生した。
しかしここで出島、雅山が短命で陥落したことにより大関の質が問われ、これ以降は『35勝以上』ともされ、非常に厳格化された。
2011年頃から再び昇進基準が緩和し(厳密に言えば緩和しようと試みたかどうかは不明)、琴奨菊が33勝、稀勢の里、豪栄道が甘めの32勝で昇進している。
照ノ富士は8勝→13勝→12勝の33勝での昇進であるが、8勝の場所の番付は平幕であった。
この頃稀勢の里、豪栄道の昇進に関して異論を唱える者も少なくなかった。
稀勢の里は直前場所にて、14日目を終了時点で10勝4敗とし、あと1勝でいわゆる『33勝』に到達するという成績であった。
対戦成績では大差を付けられていたため、正に稀勢の里にとって相撲人生を懸けると言っても過言ではない状況であった。
しかし千秋楽当日、取り組みを待たずに稀勢の里の大関昇進が決定した。
理由は『ここ数場所安定していた』『白鵬と互角に対戦した』という何とも曖昧な理由であった。
そして蓋を開けてみると、千秋楽は琴奨菊に完敗してしまい、後味の悪い結末となった。
実はその2場所前、琴奨菊は11勝→10勝→11勝の32勝で大関昇進を見送られていた。
翌場所腐ることなく、12勝を挙げたため昇進することが出来たが、それも踏まえて稀勢の里の昇進に疑問を抱く声も多かった。
こちらでも記載したが、結果的に大関として高水準な成績を挙げたため、昇進に対して疑問を抱く人はいなくなったが、当時はかなり問題視された。
豪栄道は12勝→8勝→12勝と、琴光喜が昇進見送りの理由となった2場所前1桁勝利を挟んでいるが昇進を果たした(琴光喜に関しては後述参照)。
理由は『14場所連続関脇在位と安定している』『白鵬相手に健闘した』という理由である。
14場所連続関脇と聞こえは良いが、その中身は
『三役で連続2桁勝利なし』
『その間2場所負け越し』
であるため、何とも幸運な力士である。
豪栄道は昇進後、全勝優勝の快挙を為し遂げたが、大関在位27場所で
『二桁勝利場所5場所』
『皆勤負け越し5場所』
そして連続二桁勝利は昨年やっと達成した程だった。
大関としては物足りない成績である。
昭和に話を移すと、若羽黒、北葉山、魁傑(1回目)は現在なら以ての外だろう。
その理由は『3場所間に負け越しを喫している』ことである。
負け越しを喫していること自体昇進に値しないし、そもそも議論にも値しないと思う。
このような成績で昇進が許されて、なぜ琴ヶ濱が1度昇進を見送られたのかが不可解極まりない(後述参照)。
しかも若羽黒、北葉山の時代は『連続3場所負け越しで陥落』と陥落基準まで大甘である。
『昇進した者勝ち』と揶揄されても仕方がない。
過去に3場所33勝以上を果たして昇進できなかった力士は、今回の貴景勝を除き以下の4名(5回)である。
①琴ヶ濱(33勝):12勝・11勝・10勝
②琴光喜(34勝):13勝○・9勝・12勝
③雅山(34勝):10勝・14勝△・10勝
④雅山(33勝):14勝△・10勝・9勝
⑤把瑠都(33勝):12勝・9勝・12勝
※○優勝 △同点
①は昭和時代において相当珍しいパターンである。
合計勝利数に加え、3場所連続2桁勝利と当時ならば文句1つない成績に感じるが、直前1場所前が10勝では物足りないという理由で昇進が見送られた。
何とも不運であるが、ここで腐ることなくその後も連続で11勝・13勝を挙げ、念願の大関昇進を果たした。
ちなみに後に貴ノ花、稀勢の里が直前10勝で昇進を果たしている。
②は当時の期待度からしたら見送りは意外であった。
一応全ての場所で指摘項目は存在した。
直前3場所前は平幕(前頭2枚目)であったこと、2場所前は1桁勝利であったこと、1場所前は平幕相手に2敗喫したことである。
しかし優勝した場所は平幕であるが、上位総当たりの場所であったし、直前場所も終盤まで優勝争いを演じるなど十分な活躍を見せていた。
翌場所怪我により8勝で場所を終え、結局大関昇進はこの5年後となった。正に時代に泣かされる格好となった。
③は昇進直前場所が10勝では物足りないこと、昇進すれば過去にない6大関になること、元大関であることが昇進見送りの理由である。
最後の理由以外納得出来ない部分は多く、後の2012年夏場所には史上初の6大関時代に突入、また上記の通り貴ノ花、稀勢の里は昇進直前場所で10勝ながら昇進を果たしているため不運である。
④でもわかるように翌場所9勝でも33勝に到達したが、さすがに1桁勝利で声がかかることはなかった。
⑤は特に理由なく、大関昇進の話題が全くなかった。
翌場所14勝を挙げて見事大関昇進を果たしたが、この場所も協会から『昇進は13勝以上』とかなり高水準な成績を求められた。
これらを踏まえ『33勝以上』という基準もさることながら、『連続二桁勝利』いわゆる『安定感』に対してもっと目を向けるべきだと私は考える。
中編へ続く。