正直先場所終了時点で引退してほしいという気持ちは強かったため、この決断自体には何ら驚きはない。
しかし平成17年頃からライバルの豊ノ島、学年は3つ離れているが稀勢の里らの『ロクイチ組』と切磋琢磨して同時期に出世してきた若手力士が、いまや現役で関取最年長ということには驚きを隠せない。
そりゃ私自身も歳を取るわけである。
力量の衰えも仕方の無いことである。
先場所終わりにも酷評したが、琴奨菊の十両での土俵は見たくなかった。
そして今場所散々な結果だった。
千秋楽を待たずに決断してくれたことにホッとしている自分がいる。
私は『良い意味』で琴奨菊に2度裏切られている。
1度目は『大関昇進』である。
琴奨菊が上位に定着した頃、正直この力士が大関へ昇進するとは思っていなかった。
当時の2強である朝青龍、白鵬には歯が立たなかったため、三役の常連で終わる力士だと思っていた。
前の場所まで11勝→10勝ときており、目安の33勝に12勝が必要とされていた。
12日目にこれまでろくに勝てなかった白鵬に勝利して10勝目を挙げ、残り3日間平幕相手に2勝すれば昇進が見えてくる中、13日目、14日目とまさかの連敗。
これを見て私は『千載一遇のチャンスを不意にした』と感じた。
しかし琴奨菊は腐ることなく、翌場所再度大関取りの場所で白鵬にも勝ち、見事12勝を挙げて大関昇進を果たした。
大関へ昇進することはないと考えていた力士の昇進に驚きを隠せなかった。
そして2度目は『幕内優勝』である。
これが最大の良い意味での裏切りだろう。
あの時誰が琴奨菊の優勝を予想していただろうか?
平成28年初場所の出来事だが、それ以前に琴奨菊が千秋楽まで優勝争いをしていたのは2回に留まる。
大関昇進以降、基本優勝争いには無縁だった。
この場所前も期待されていたのは稀勢の里であったし、場所が進んで琴奨菊が初日から連勝を重ねても、白鵬も同じく全勝であり、日馬富士も1敗で追いかけていたため、どうせどこかで崩れるだろうと思っていた。
それがまさかの横綱戦3連勝。
まさかまさかの連続の中、日本出身力士としては10年ぶりの優勝を果たした。
実はこの優勝を決めた一番、私は国技館で観戦していたため、日本出身力士の優勝云々ではなく『あの琴奨菊が優勝した』ということで非常に印象深い一番となっている。
その1年後には関脇へ陥落した。
相撲内容を見ても力量の衰退が隠せない状態になっていたが、特例復帰場所でもまさかが起こりそうになった。
2横綱に勝利し、目標の10勝までもう一歩の9勝だった。
その後は元大関の実力者として若手の壁として立ちはだかっていたが、ここ数年怪我及び肉体の衰えが著明となった。
平成28年初場所の優勝。
あれから大相撲界は少しずつ動き始めた。
あの当時『琴奨菊が優勝出来るなら自分も』という力士は増えたはずである。
ここから初優勝力士が次々と誕生した。
大相撲界を動かした琴奨菊の功績は大きい。
だからこそ何度も発言するが、琴奨菊の十両での土俵は見たくなかった。
引き際の美学に関しては人それぞれ思いがあるから仕方のないことではあるが。
それでもありがとう琴奨菊。
本当にお疲れ様でした。