本日19時頃、スマホの速報ニュースにて『貴景勝引退』を目にした。
私自身、正直驚きよりも安堵した。
今場所3日目に休場した時、また先場所13日目で敗れて大関陥落した時から記載しているが、貴景勝は関脇以下で相撲を取る力士ではないと思っていた。
28歳と若過ぎる引退ではあるが、貴景勝の美学を貫いた姿とも言える。
基本時代を築くのは横綱であり、そして横綱の中でも『最強横綱』と称される力士である。そういう意味では貴景勝は時代を築いた力士ではない。
しかし貴景勝が背負っていた重責はかなりのものだったと思う。
22歳で早々と大関昇進を果たしたが、わずか2場所で陥落。思い返せばここから怪我の連続であった。
特例復帰を果たした場所の御嶽海との優勝決定戦で胸を負傷。
その後も膝、足首、そして致命傷の首。
貴景勝が大関昇進後、栃ノ心、髙安、豪栄道、朝乃山、御嶽海、正代、そして霧島と大関から陥落していった。
前者3名は貴景勝よりも昇進も年齢も先輩の大関だが、残り4名は貴景勝よりも昇進は遅いが、年上もしくは同学年の大関である。
これだけでも貴景勝が早くに大関の重圧と闘っていたことがわかるだろう。
大関が不甲斐ないと言われ続け、21場所大関の優勝が途絶えていた時もそれに終止符を打ったのは貴景勝だった。
横綱不在の中、一人大関で土俵に立った時も優勝して結果を残したのは貴景勝だった。
『押し相撲では横綱は無理』と言われ続けながらも押しを貫き通して4回の優勝を果たした。
昨年初場所優勝した際、すくい投げや小手投げも見受けられ、相撲に幅が広がり機は熟したと思ったが、翌場所怪我に泣かされて横綱昇進は叶わなかった。
私自身大相撲を観戦して30年近くになるが、生まれて初めて『押しだけで横綱に昇進する力士を観てみたい』と思った力士であった。
そして常に大関の重圧と闘い続けた力士である。
だからこそ私は関脇以下で相撲を取る貴景勝の姿を見たくなかった。
『引退を決めるのは力士の自由』という言葉も目にしたが、横綱は負けが込めば引退だが、横綱以外はいくら番付が落ちようと相撲を取り続けることが出来る。
だからといって貴景勝はそんな器ではない。
何度でも言う。
ようやく貴景勝も重責から解かれる日が来た。
まずはゆっくり休んでいただき、そして後世に貴景勝の相撲道を引き継いでほしいと思っている。
本当にお疲れ様でした。