きょうへいくんの大相撲日記

幼少期より大相撲を愛し、勝手に語ります。

402. 白鵬引退に関して④~同時期のライバル~

先日白鵬の引退会見が行われ、年寄 間垣も襲名し、本当に引退を表明したのだと改めて感じさせられた数日間だった。

相撲内容に対する質疑応答もあったが、本人の中でも近年は自分の相撲を取ることが出来ない葛藤があった様子である。

さて『白鵬引退に関して①』でも記載したのだが、白鵬は『ライバル不在』と言われることが多かった。

そのため多くの記録を樹立することが出来たと発言するファンも多い様子である。

そこで今回、優勝回数20回以上を達成した6名、いわゆる『時の第一人者』とその第一人者と同時期に戦った横綱の優勝回数及び対戦成績を比較したいと思う。

ちなみに言うまでもないと思うが、第一人者6名は大鵬北の湖千代の富士貴乃花朝青龍白鵬である。

そして第一人者が横綱在位時に同じく横綱に在位していた力士を対象としているため、例えば『北の湖北勝海』『千代の富士貴乃花』等対戦経験はあるが、同時に横綱在位がない組み合わせは対象外である。

まずは優勝回数に関して以下の通りである。

※数字は第一人者が横綱在位中の通算優勝回数であり、()内数字は横綱在位中の優勝回数

大鵬

通算:32回

横綱在位:29回

柏戸:5回(4回)

栃ノ海:3回(1回)

佐田の山:6回(3回)

玉の海:5回(3回)

北の富士:6回(3回)

 

北の湖

通算:24回

横綱在位:22回

輪島:8回

若乃花:4回(3回)

三重ノ海:3回(2回)

千代の富士:10回(8回)

隆の里:4回(2回)

 

千代の富士

通算:31回

横綱在位:29回

北の湖:2回

若乃花:0回

隆の里:4回(2回)

双羽黒:0回(0回)

北勝海:8回(6回)

大乃国:2回(1回)

旭富士:3回(0回)

 

貴乃花

通算:22回

横綱在位:15回

曙:8回

若乃花:5回(0回)

武蔵丸:12回(7回)

 

朝青龍

通算:25回

横綱在位:23回

武蔵丸:0回

白鵬:12回(9回)

 

白鵬

通算:45回

横綱在位:42回

朝青龍:5回

日馬富士:9回(5回)

鶴竜:6回(5回)

稀勢の里:2回(1回)

少々分かりづらいかもしれないが、あくまで第一人者が横綱在位中の優勝回数を示しているため、その力士より先輩横綱の場合、すでに何回か優勝を果たした後なので回数が少ない結果となっている(例を挙げると北の湖は通算24回優勝を果たしているが、千代の富士横綱在位中は2回である)。

またそれとは逆に後輩横綱が第一人者が引退後も土俵を務めて、優勝回数を重ねた場合もある(例を挙げると北の富士は最終的に10回優勝を果たしている)。

そして記録を見てみると、やはり第一人者がずば抜けて優勝回数を重ねていることがわかる。

この中で北の湖貴乃花朝青龍が同時期に10回以上に優勝回数を重ねた力士が存在する。

北の湖の場合、まず先輩横綱に最大のライバルである輪島が存在しており、昭和51年~52年では全12場所の内、両者が5回ずつ優勝を果たすという正にライバルにふさわしい成績だった。

輪島は通算優勝回数14回であるが、北の湖横綱在位中に限れば上記の通り8回である。

10回に到達したのは後の第一人者である千代の富士である。

千代の富士横綱へ昇進を果たした頃には、北の湖も休場が多くなる時期であったため、厳密に言えば全盛期は被っていない。

それにしても北の湖としては上にも下にも強力なライバルが存在していたということである。

 

そして貴乃花はハワイの2横綱がともにライバルであり、両者ともに通算優勝回数は10回以上を数えている。

若乃花とは同部屋のため対戦がなく、また同時期に横綱在位していた横綱も少ないが、それでも中身の濃い争いをしていたことがわかる数値ではないだろうか。

 

そして朝青龍だが、朝青龍は同時期に横綱在位していた力士が最小の2人である。

しかも武蔵丸に関しては5場所同時の時期があったが、結果的に両者揃って皆勤することは1度もなかった。

そのためライバル不在の中独走状態を築き、後にライバルとなる白鵬が昇進を果たした。

 

こうしてみると残りの大鵬千代の富士白鵬に関しては同時期の横綱の優勝回数は似たり寄ったりといったところか。

以前も少し触れたが大鵬のライバルと言えば柏戸と挙がるが、優勝回数を見てもわかるように雲泥の差である。

一方白鵬時代には日馬富士が9回優勝を果たしているため、これに関しては日馬富士をライバルと言っても差し支えないと考えられる。

 

そして次に対戦成績に関して以下の通りである。

※数字は幕内の通算対戦成績であり、()内は横綱同士の対戦成績である。

大鵬

柏戸:21-16

(18-9)

栃ノ海:17-6

(5-3)

佐田の山:27-5

(8-4)

北の富士:26-5

(4-2)

玉の海:21-7

(4-2)

 

北の湖

輪島:21-23

(18-14)

若乃花:25-18

(14-7)

三重ノ海:26-13

(2-2)

千代の富士:12-6

(2-4)

隆の里:15-7

(1-4)

 

千代の富士

北の湖:6-12

(4-2)

若乃花:5-10

(3-2)

隆の里:12-16

(3-3)

双羽黒:8-6

(3-2)

旭富士:30-6

(1-0)

大乃国:23-9

(8-2)

 

貴乃花

曙:21-21

(13-8)

武蔵丸:29-19

(1-7)

 

朝青龍

武蔵丸:4-5

(0-0)

白鵬:12-13

(3-8)

 

白鵬

朝青龍:13-12

(8-3)

日馬富士:36-21

(14-8)

鶴竜:42-8

(12-4)

稀勢の里:44-16

(1-0)

 

北の湖貴乃花は同時期の横綱と互角の対戦成績を残している。

優勝回数の項目でも見てわかるように、この両者はライバル達も優勝回数を重ねているため、強力なライバルが存在していたことがわかる。

 

朝青龍白鵬だけであるが、その白鵬には通算対戦成績ではほぼ五分だが、晩年は7連敗を喫しているため、横綱同士の対戦成績では水をあけられている(その間決定戦で2勝しているが)。

 

そして大鵬千代の富士白鵬に目を向けると、対戦成績で抗った力士はそれなりに存在している。

まず大鵬だがライバルと称される柏戸とは21-16であり、晩年5連勝したことを除けばそれまでは互角であった。

最終的に横綱同士の対戦ではダブルスコアだが、それでも他の力士と比較しても16勝は群を抜いているため、ここらが大鵬のライバルは柏戸と言われる所以だろう。

 

千代の富士は何といっても隆の里を大の苦手としていた。

通算対戦成績では負け越しており、また4場所連続で千秋楽相星決戦を行い、ここでも1勝3敗と負け越している。

先輩横綱北の湖若乃花には通算対戦成績でこそ負け越しているが、横綱昇進後は立場が逆転している。

 

白鵬は全横綱に対戦成績を勝ち越している。

最も苦戦を強いられたのが日馬富士であり、横綱白鵬に最も勝利した力士である。

優勝回数は雲泥の差だが、優勝回数9回、対戦成績を見てもわかるように、抗うことの出来た数少ない力士であったと言える。

鶴竜に関しては対戦成績で初顔合わせから白鵬に20連敗を喫するなどあまりにも差が生じていたが、優勝回数は6回であり、横綱同士の対戦では要所で意地を見せている。

そして稀勢の里横綱同士の対戦は1回に終わってしまったが、白鵬に対して2番目に勝利した力士であり、連勝を63で止めたのは有名な話である。

 

以上のように白鵬にはライバルが存在しなかったとするならば、大鵬千代の富士、そして白鵬が昇進する前の朝青龍にも言えることだと思う。

それでも『あの時代は…』と語るファンも多いだろうが、白鵬にも先輩横綱には朝青龍が存在し、後輩横綱には日馬富士、そして苦しめる存在として稀勢の里が存在していた。

もちろん各時代同列に語ることなど出来ないが、『ライバルが不在だから達成できた記録』とあっさり片付けられるような記録の数々ではないと言えるだろう。