大相撲七月場所初日まであと4日。
観客も1日2500人を目処に動員することを決定した。
初日まであと僅かという中、本日7月15日、元関脇 栃煌山が引退を表明した。
突然の出来事に驚きを隠せなかった。
栃煌山といえば早生まれのため昭和62年であるが、いわゆる『花のロクイチ組』である稀勢の里、豪栄道などと同学年であり、その中の1人として数えられていた。
中学時代から『影山』は有名であり、後の大関豪栄道である『澤井』とはライバル関係にあった。
高卒で入門し、期待に違わず幕内までスピード出世を果たしたが、三役定着までに時間を要した。
三役に定着し始めたのは平成25年頃からであり、この時期は三役で二桁勝利を果たすことも多かったが、三賞運には見放されていた。
実力者でありながら三賞が合計6個という結果は、違う形で実力者の証明を果たしたとも言える(実力者には三賞基準が厳しくなる傾向があるため)。
この力士は得意相手にはとことん強いが、苦手相手にはとことん弱い傾向にあった。
鶴竜、稀勢の里にとって栃煌山という存在は『鬼門』とも呼べる存在であり、何度も苦杯をなめていた。
一方白鵬に対しては、とったり戦法を何度も繰り出されたり、猫騙しをされたり、かち上げを食らったりと散々だった。
日馬富士に対しては、日馬富士が大関時代は比較的相性が良かったが、横綱へ昇進以降まるで歯が立たなくなった。
もろ差しになる巧さ、速攻は魅力的だったが、守りに回ると本当に脆かった。
とにかく身体が硬かった。
『大関候補』と声も上がっていたが、私の印象としては『大関食いの強い関脇』だった。
昨年ロクイチ組の筆頭である稀勢の里が引退し、今年の初場所には豪栄道が引退した。
そして今回の栃煌山とロクイチ組の代表格である力士が次々に引退を表明し、やはり時代は流れているのだとしみじみ感じさせられる。
栃煌山関、お疲れ様でした。