きょうへいくんの大相撲日記

幼少期より大相撲を愛し、勝手に語ります。

166. 最近の大関は本当に情けないのか?

先日大相撲初場所が千秋楽を迎え、場所後に大関 豪栄道が引退を表明した。

初場所にて2場所連続負け越しを喫したことで大関陥落が決定しており、これで貴景勝栃ノ心→高安→豪栄道と『4場所連続大関陥落』である。

また大関の優勝は平成29年初場所稀勢の里が最後であり、18場所連続である。

これらの記録を目の当たりにして

『最近の大関は情けない』

大関の質の低下』

など辛辣なコメントをするファンが多く存在している。

これに付属して

『昔の大関は違った』

というコメントも多く聞かれる。

私はそれに対して完全に否定するわけではないが、完全に賛成することも出来ない。

実は私自身、5年程前にこの問題に関してword30枚程度でまとめたことがあるのだが、単純な成績だけを考慮するならば『過去も現在も大差ない』という結果を導き出している。

まず5年前にも『最近の大関は情けない』という発言は飛び交っていたのである。

それより以前、平成20年以降は毎場所のように耳にする発言である。

これは私の持論だが、そもそも毎場所安定した成績を残せるような大関は早々横綱へ昇進するものであり、大関に留まる力士の力量は平均すれば『クンロクレベル』だということである。

過去のデータを見れば、横綱に近かった大関など片手の指で数えるほどしか存在しない。

時代背景も大きく関与しており、それにより差が生じるのは承知の上だが、まず『大関の勝率』で考えると、歴代最多は初場所特例復帰が叶わなかった『高安』である。

高安の勝率は『0.665』であり、この勝率は『1場所平均10勝未満』である。

何度か記載していることだが、よく大関は『最低10勝』と言われることが多いが、最高位大関の中で1場所平均10勝を越える勝率を誇る力士は存在しないのである(ちょうど1年前にも大関に関することで記載をしたので、25.26.27も参照していただけると幸いである)。

 

そして過去と現在で大きく異なる点が『昇進』と『角番』である。

まず昇進に関してだが、昭和時代の大関昇進は明確な基準が存在しないと言っても過言ではなかった。

厳密に言えば現在の『3場所33勝』も規則ではないのだが、現在は30勝前後で昇進することはまずありえない。

昭和の時代では30勝前後で昇進している力士も多く、北の富士、北葉山に関しては28勝で昇進している。

そして平成18年~平成22年にかけて4人大関昇進を果たした力士が存在するが、この時4人全員が『35勝以上』と高水準であった。

さらに近年の大関である豪栄道、高安、栃ノ心貴景勝はそれぞれ32勝、34勝、37勝、34勝と豪栄道以外は俗に言う『33勝以上』である。

栃ノ心に関して言えば、1場所目が平幕とはいえ上位圏内で14勝の優勝、さらに合計37勝は歴代最多タイ記録である。

そのため昇進時の成績で批判できる力士は、豪栄道を除けばいないわけである。

 

そして最大の問題点が2つ目の『角番』である。

この問題点は『角番制度の違い』と『公傷制度の有無』について説明しなければならない。

昭和44年夏場所までは、大関が関脇へ陥落する条件は『3場所連続負け越し』であった。

要は2場所連続負け越しを喫することで初めて角番となるわけである。

例を挙げると北葉山だが、北葉山は成績上『角番0回』の力士であるが、途中休場1場所、皆勤負け越しを2場所を経験しているため、現行の角番制度ならば3回の角番ということになる。

そして公傷制度だが、昭和47年取り入れられた『本場所の取り組みにおいて発生した怪我ならば、通常の休場扱いとは異なり、翌場所休場しても番付を落とさない。』という制度である。

要は大関の場合、現行ならば『勝ち越しを決めて途中休場 ⇒ 翌場所全休 ⇒ 角番』となるが、公傷制度の場合、『勝ち越しを決めて途中休場 ⇒ 翌場所全休 ⇒ 角番扱いしない』となるのである。

大関だけに限らず乱用する力士が多く、全休力士も増加したため、平成15年九州場所を最後に廃止された。

そのため公傷制度が存在した時代と存在しない時代でも、大関を維持できるかどうかは大きく関与してくるのである。

 

年6場所制となった昭和33年以降に昇進した大関で『現行の制度ならば大関陥落が決定していた力士』を以下の表にまとめた。

四股名

場所

1場所目成績

2場所目成績

翌場所

琴ヶ濱

昭和35年秋場所

昭和35年九州場所

6勝9敗

1勝6敗8休

12勝3敗

昭和36年夏場所

昭和36年名古屋場所

5勝10敗

0勝5敗10休

9勝6敗

昭和37年春場所

昭和37年夏場所

4勝7敗4休

全休

引退

若羽黒

昭和36年名古屋場所

昭和36年秋場所

5勝10敗

全休

5勝10敗

栃光

昭和40年秋場所

昭和40年九州場所

6勝9敗

5勝10敗

5勝10敗

豊山

昭和42年春場所

昭和42年夏場所

5勝10敗

1勝6敗8休

10勝5敗

北の富士

昭和42年夏場所

昭和42年名古屋場所

5勝10敗

7勝8敗

10勝5敗

朝潮

昭和58年秋場所

昭和58年九州場所

6勝3敗6休

全休

10勝5敗

北天佑

昭和62年春場所

昭和62年夏場所

3勝6敗6休

全休

8勝7敗

若乃花

平成6年春場所

平成6年夏場所

3勝4敗8休

全休

14勝1敗

平成9年春場所

平成9年夏場所

3勝1敗11休

全休

8勝7敗

千代大海

平成11年春場所

平成11年夏場所

3勝8敗4休

全休

10勝5敗

平成13年初場所

平成13年春場所

2勝2敗11休

全休

12勝3敗

平成13年秋場所

平成13年九州場所

4勝5敗6休

全休

13勝2敗

平成14年九州場所

平成15年初場所

6勝3敗6休

全休

12勝3敗(優勝)

魁皇

平成14年九州場所

平成15年初場所

2勝2敗11休

全休

10勝5敗

栃東

平成14年名古屋場所

平成14年秋場所

3勝2敗10休

全休

8勝7敗

平成15年初場所

平成15年春場所

0勝6敗9休

全休

8勝7敗

※赤字は特例復帰場所と仮定した場合、10勝以上の成績を挙げることが出来なかった力士。

 

なんと『18例』も存在する。

その中には後に横綱へ昇進する北の富士若乃花も存在する。

さらに翌場所を特例復帰場所と仮定した場合、10勝以上出来ず陥落する例は『7例』である。

若乃花の2回目は8勝のため、後の横綱がここにも顔を覗かせる結果となっている。

そして史上唯一『2度の特例復帰』を果たしている栃東は、現行制度ならば2回とも復帰できない結果である(余談だが、栃東の2度の特例復帰はすでに公傷制度廃止された時期である)。

 

また『4場所連続大関陥落』が話題に挙がっているが、連続陥落は以下の通りである。

昭和36年名古屋場所秋場所で『琴ヶ濱、若羽黒』

②昭和42年夏場所名古屋場所で『豊山北の富士

③平成15年初場所千代大海魁皇が同時、さらに春場所栃東を含め,、2場所で3人の陥落。

となっている。

平成15年初場所に関して言えば『同時陥落』である。

現在以上に酷い結果だろう(両者ともに翌場所10勝以上のため復帰可能だが)。

これだけを見てもわかるように『制度に救われていた大関は多い』ということである。

 

やはり根本的な問題は『怪我』と言えるだろう。

ここ数年は、力が衰退して陥落しているのは琴奨菊くらいであり、怪我に苦しめられて陥落している場合が大半である(豪栄道が半々といったところか)。

怪我をして満足な治療を出来ず、大関を維持するために出場し、結局治療することができないというパターンが大半だろう。

上記の通り、角番制度が異なった時代、公傷制度が存在した時代は、全休という選択肢もあった。

しかし今はそれが使えないのである。

それに対して『関脇へ陥落してでも怪我を治すべき』という意見も挙がるだろう。

しかしいざ陥落が決まれば『体調管理がなっていない』と罵られ、最終的に『大関は情けない』に繋がるのである。

先日豪栄道が引退し、会見の中で『やせ我慢の美学』について発言があった。

確かに言い訳しないことは素晴らしいことだと思う。

ただこれを『正当化してはいけない』のである。

『皆怪我はしているんだ』

『怪我はする方が悪い』

『怪我は土俵上で治せ』

結局これらの考え方から抜け出せないまま何年も経過しているのである。

 

やはり望むは『公傷制度の復活』だろう。

これに関しては過去に記載したため、92.93を参照していただきたい(簡潔に言えば従来の公傷制度復活は賛成できないが、別の形で望むというもの)。

完全に世代交代が進んでいるとは言い難いが、若い有望な力士達を守るためにも必要になってくるだろう。

課題は多いのに何一つ具体案を示さない協会には呆れているが、今年こそ何らかの形で動いてくれ。

このままだと次々に看板力士が潰れるぞ。

話が少し逸れたが、最近の大関が情けないというのであれば、私の見解としては『大関が情けない、低迷しているのは今に始まったことではない』ということである。