きょうへいくんの大相撲日記

幼少期より大相撲を愛し、勝手に語ります。

141. 何かと珍記録の多かった2019年年間最多勝争い

先日、白鵬の優勝により幕を閉じた九州場所

白鵬は今年2回目の優勝であり、年間で最も優勝した力士にもなったわけだが、休場数が多いため、年間最多勝は朝乃山が受賞した。

朝乃山の受賞により

・最少白星による受賞(55勝35敗)

・最高位小結以下の受賞

・最低勝率による受賞(0.611)

といった記録が生まれた。

勝率に関してだが、過去最低勝率は1992年の貴花田の0.667であった。

この年は60勝30敗の当時最少白星の記録であったが、勝率も過去最低であった。

これは勝率にすると1場所平均10勝である。

そして55勝以前の最少白星は2017年白鵬の56勝であったが、この年の白鵬の成績は56勝9敗25休だった。

これは勝率にすると『0.862』であり、1場所平均『約12.93勝』となる。

休場数を含めないかそれとも黒星として計算するかで概念が変化するが、一般的に大相撲の勝率を算出する場合、休場数を含めずに算出する。

今年の朝乃山の1場所平均は『約9.17勝』となる。

そのため1勝差といえど、勝率は雲泥の差である。

 

ちなみに今年の年間勝利数次点は阿炎の54勝であった。

実はこの成績も次点成績の中では『最少タイ記録』である。

過去の最少次点成績は以下の通りである。

年代 次点力士 年間最多勝力士 成績
1975年
昭和50年
魁傑 11勝4敗 11勝4敗 12勝3敗 8勝7敗 6勝9敗 6勝9敗 北の湖 71勝19敗
2017年
平成29年
御嶽海
貴景勝
11勝4敗
7勝8敗
9勝6敗
11勝4敗
8勝7敗
11勝4敗
9勝6敗
5勝10敗
8勝7敗
9勝6敗
9勝6敗
11勝4敗
白鵬 56勝9敗25休
2019年
平成31
令和元年
阿炎 10勝5敗 8勝7敗 10勝5敗 8勝7敗 9勝6敗 9勝6敗 朝乃山 55勝35敗

 

魁傑は初場所時点では大関であり、初場所から夏場所にかけての3場所は好成績を収めているが、後半3場所失速し、九州場所では2場所連続負け越しを喫して大関陥落となった。

ちなみにこの年は貴ノ花が年間2回の優勝を果たしているが、1場所休場しており、九州場所で8勝止まりだったことが災いし、52勝止まりである。

そして北の湖の最大のライバルである輪島は、この年最も不振といえる年であり、3場所休場、年間優勝なしのため年間最多勝争いに顔を出すことはなかった。

 

2017年は初場所春場所稀勢の里が連覇を果たしたが、春場所で負傷した影響で離脱。

日馬富士鶴竜も休場が多く(日馬富士九州場所終了後に引退)、この年大関昇進を果たした高安も、後半は休場が重なって白星を積み重ねることが出来なかった。

その結果、休場数が多いながらも年間3回優勝を果たした白鵬が年間最多勝を受賞した。

この年は表の通り次点が2名いるが、貴景勝に至っては三役すら未経験であった。

 

そして今年は上位陣が壊滅状態の中、御嶽海、阿炎、朝乃山が引っ張る展開の中、朝乃山が受賞した。

 

ちなみに過去次点の最高成績は1978年の2代目若乃花の78勝である。

この年若乃花横綱昇進の年であり、1場所平均13勝の好成績を収めながらも、北の湖が当時最高記録となる82勝を挙げたため、若乃花の受賞はならなかった。

 

今年の年間最多勝は上記の通り様々な珍記録が生まれているわけだが、最大の珍記録は『最多勝受賞者も次点の力士も小結以下の力士』ということである。

過去関脇以下の年間最多勝受賞は

・1960年:大鵬(66勝24敗)

・1992年:貴花田(60勝30敗)

以上2回だがそれぞれの次点力士は

・1960年:柏戸(62勝28敗)

・1992年:曙(57勝18敗15休)

となっており、その年には大関に昇進している力士である。

今年は如何に上位陣の休場が多いかを物語る結果といえる。

 

余談だが、私個人が選ぶ最も年間最多勝のレベルが高い年は

『1979年』『1994年』の2つである。

まず1979年は輪島、北の湖、2代目若乃花の3横綱に加え、三重ノ海横綱昇進を果たす年であり、結果は以下の通りである。

四股名

輪島

10-5

12-3

12-3

14-1

10-5

10-5

68-22

北の湖

14-1

15-0

13-2

12-3

13-2

10-5

77-13

若乃花(2)

11-4

12-3

14-1

11-4

11-4

12-3

71-19

三重ノ海

11-4※

10-5※

13-2※

14-1※

11-4

14-1

73-17

大関在位

赤字は優勝および年間最多勝

 この年の優勝者は上記4名で占められており、また全員が全場所二桁勝利を果たしている。

さらには『年間3名の70勝以上』はこの年が史上初である。

上位が充実していると、これだけ締まった展開になるということだ。

 

そして1994年だが、この年は曙の一人横綱時代であったが、曙は夏場所にて途中休場し、その後も休場が続いてしまったため、以下の3名が引っ張る展開となった。

四股名

貴ノ花貴乃花

14-1

11-4

14-1

11-4

15-0

15-0

80-10

武蔵丸

12-3※

9-6

12-3

15-0

11-4

12-3

71-19

貴ノ浪

13-2※

12-3

9-6

12-3

12-3

12-3

70-20

※関脇在位

貴乃花が年4回優勝し、九州場所で連覇を果たし、横綱昇進を決めた年である。年間80勝で圧倒的にも見えるが、1979年以来の3人の年間70勝以上である。

またこの年は何が凄いかというと『全員大関』という点である。

一人横綱の曙が休場している影響があるとはいえ、大関がしっかり責任を果たすというのは、この時代の大関の質の高さを裏付ける結果とも言える。 

現在の大関陣ではこのような好成績想像もつかないだろう。

 

今場所は白鵬が優勝を果たしたものの、年間で見た場合、休場が目立つようになり、以前のように80勝以上を挙げることは出来ないだろう。

おそらく70勝も厳しいといえる。

若手が成長し、新時代の第一人者と呼べる力士が誕生すれば、年間最多勝争いも面白くなるのだが、それはいつになるのだろうか…