きょうへいくんの大相撲日記

幼少期より大相撲を愛し、勝手に語ります。

121. 御嶽海大関昇進なるか?

昨日も記載したが、大相撲九州場所の焦点の1つとして『御嶽海の大関昇進』が挙げられる。

御嶽海はここ2場所関脇で9勝・12勝(優勝)の計21勝を挙げている。

1つの目安と呼ばれる33勝を考えた場合、12勝以上が必要となる。

場所の展開によっては11勝でも呼び声がかかる可能性はあるだろう。

その理由の1つに挙げられるのが『17場所連続三役在位』である。

ここ3年近く上位と戦い続け、三役の座を守り続けてきたのは、実力がなければ成せるものではない。

そして最大の理由は『関脇で2度の優勝』だろう。

年6場所制となった1958年以降、関脇以下の番付で2度優勝を果たした力士は、魁傑、貴花田琴錦の3名だけであり、『関脇で2回』となると御嶽海ただ一人となる(魁傑は大関昇進前に1度、陥落後に1度優勝している)。

さらに1958年以降、関脇で優勝を果たした力士は御嶽海を含め17名存在するが、そのうち14名が大関昇進を果たしている。

これらのデータに加え、17場所連続三役在位という実力を加味すると、大関昇進は難しくないように感じるが、懸念材料も多く存在する。

1つは『三役在位中の二桁勝利数の回数』である。

九州場所で17場所連続となるため、秋場所までの16場所間で二桁勝利を果たしたのは優勝した場所の2回だけである。

そのため2場所連続二桁勝利の経験はない。

そして連続在位間に『3回の負け越し』を喫している。

全て7勝8敗のため、関脇在位の時は小結に降下するだけだが、今年の春場所では小結で負け越しを喫してしまった。

番付運良く半枚降下に留まったため三役を維持できたが、負け越してしまうことも見受けられるため、安心して見ることが出来ない。

そしてある意味で最も深刻な理由が『関脇で優勝した直後の成績』である。

上記の通り、関脇で優勝した14名が大関に昇進しているわけだが、全員に共通していることは『優勝場所をきっかけにしている』ということである。

目安である33勝の中の1場所が優勝した場所なのである。

それを活かせず昇進できていない関脇優勝力士が長谷川、玉鷲、そして御嶽海である。

長谷川は当時の大関昇進目安が『30勝前後』だったため、8勝・10勝・12勝(優勝)で昇進する可能性も考えられたが昇進できず、翌場所8勝止まりで結局大関昇進は叶わなかった。

いずれにせよ、現行の昇進基準ならば声すらかかることなく、優勝した翌場所が大関昇進を懸ける場所になっていただろう。

御嶽海は初優勝したときの成績は13勝であり、9勝・13勝と今回よりも好成績で翌場所に挑んだが、9勝で場所を終えてしまった。

その後も優勝を活かすことが出来ずにいたが、先場所再び優勝を果たすことが出来た。

今回はこの優勝を活かすことが出来るかどうか。

またこの力士は前半調子が良くても突如崩れてしまう事が多いため油断できない。

上記の初優勝の翌場所も初日から5連勝と最高のスタートを切ったが、8日目から5連敗を喫してしまった。

とにもかくにも最低10勝を挙げなければ、またもチャンスを不意にしてしまう可能性は高い。

10勝挙げれば12勝・10勝と翌場所に繋ぐことも可能である。

御嶽海の相撲人生においてターニングポイントとなる場所となるだろう。

ちなみに35. 大関所昇進場所のあれこれでも記載したことがあるが、大関昇進場所の黒星を喫した日の人数の内訳は以下のグラフのようになる。

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関脇は上位の人数によって序盤に上位戦が組まれることもあるため、一概に言えることではないが、基本的には中盤戦~終盤戦に上位戦を組むことが多いため、終盤戦以降の黒星が多い。

また以前も記載しているが、このデータは『大関に昇進した力士の成績』であるため、関係ないといえば関係ないのかもしれないが、千秋楽に黒星を喫している人数が多い。

考え方によっては、もし14日目終了時点で11勝3敗としており、あと一番勝てば目安の33勝に到達するという状況では嫌なデータと言えるかもしれない。

御嶽海の運命や如何に。