『貴ノ富士が2度目の暴力発覚』
このニュースを目にしたのは秋場所が始まる数日前だった。
とあるスポーツ紙では早々『引退』もしくは『引退勧告』と記事にしていた。
この段階では暴力を振るった過程及び程度が不明だった。
始めに断っておくが、暴力に対しては言語道断である。
しかし過程及び程度がわからないうちにすぐ『引退』というのは如何なものだろうかと感じていた。
確かに『2度目』という時点で、反省の色がみえないと言えるかもしれない。
しかしただ付け人と遊んでいる中で、お笑い芸人のツッコミのように少し頭を叩いただけかもしれない。
また付け人が先に手を出してきて、正当防衛として手が出たのかもしれない。
極論を言えばこういう可能性だってあるわけだ。
『暴力=解雇』では、反省すらすることができない。
2度目ということで1年の出場停止など処分は様々だろう。
だから早々『引退勧告』と報道するマスコミにも問題があると感じていた。
そして蓋を開けてみると、それこそスポーツ紙、報道などの情報頼りだが、暴力に加え『暴言』も発覚した。
正直この話を聞いたとき、貴ノ富士は救いようがないと感じた。
挙句の果てには協会を批判した。
それは再発防止の講習会において『正直伝わってなかった』『言葉で何回言っても伝わらない場合、手を出さない代わりにどう指導したら良いのか教えてもらっていない』という旨の内容である。
言いたいことはわかる。
しかしその答えが『暴力&暴言』なのか。
行動と言動が支離滅裂しているのである。
百歩譲って言うことの聞かない付け人相手に、感情的になってしまって手が出たのは良いとしよう。
誰しも感情的になってしまうことはあるだろう(上記の暴力は言語道断と矛盾するが。)。
しかしそこから暴言まで付け足すと、貴ノ富士の『人間性』を疑ってしまう。
そして何が悲しいかというと、一般人からすると『力士=暴力』だけでなく『力士=暴力&暴言』という印象が根付いてしまうのである。
ただでさえ冷たい目でみられる大相撲が、さらに冷たい目でみられることになる。
それは大相撲ファンに対しても同様だ。
現に八百長問題、暴力問題があるたび興味のない人から意見を求められ、そして馬鹿にされるように笑われた。
結果が『シロ』という事実確認がされたあとでも、一般人の印象に残るものは『悪事』だけである。
話が少し逸れたが、支離滅裂なことをしている力士が引退勧告に対して不満を抱いているのである。
まず会見を聞く限りでは、そもそも暴力&暴言に対しての反省はまるで見られなかった。
私からすれば『逆ギレ』とも感じたほどだ。
はっきり言って、こんな力士が戻ってきても応援などする気にならない。
『2度目の暴力』
『加えて暴言』
『逆ギレ』
上記の通り救いようがない。
しかし今回の貴ノ富士の問題で懸念されることは『暴力=解雇』という図式が成り立つのではないかという不安である。
おそらくこの図式が成り立つならば、暴力の軽減に繋がる可能性も高いだろうが、問題は『上下関係』である。
いわゆる『付け人を奴隷のように扱う』といった考え方は改善しなければならないことだが、懸念されるべき点は『付け人がつけあがる』ことである。
それこそ兄弟子の言うことを全く聞かなくなるかもしれない。
それに対して注意しても反発し『殴れるもんなら殴ってみろ』と挑発してくる可能性もある。
大相撲の社会だけでなく、一般社会でも上下関係というものは存在する。
『大相撲社会の考え方は一般社会とは違う』と思っている方は多いだろうが、近年問題が発覚している今だからこそ、大相撲の上下関係も一般社会に通ずる所が多いのではないだろうか。
相撲一本で成功する人の方が少なく、大半が引退後に一般社会へ巣立っていく。
そんな中、上司につけあがる者が社会に出たらどうだろうか。
ますます大相撲社会の質が問われることになると思う。
再発防止の講習会ももっと広い目を持ってやっていく必要があるだろう。
またまた話が逸れたが、貴ノ富士に関しては、本当に戻って来なくていい。
貴ノ富士の全てを疑いたくなるような会見だった。