先場所大関で2場所連続負け越しを喫したことにより、今場所関脇へ陥落した栃ノ心。
1969年名古屋場所より、現行の『2場所連続で負け越しで関脇に陥落、直後の場所で10勝以上を挙げた場合(厳密には取り組み日数の2/3以上)、特例で復帰できる』という規定が定着した。
年6場所制となった1958年以降、大関を陥落した力士は栃ノ心を含め、19名・22例である。
そして陥落直後の場所の成績は以下の通りである。
四股名 | 陥落決定場所 | 翌場所 | 備考 |
若羽黒 | 1961.九 | 9勝6敗 | 当時特例復帰制度なし |
前の山 | 1972.春 | 7勝8敗 | |
大受 | 1974.夏 | 9勝6敗 | |
魁傑 | 1975.九 | 7勝8敗 | 後に大関復帰 |
三重ノ海 | 1976.夏 | 10勝5敗 | 特例復帰 |
魁傑 | 1977.秋 | 6勝9敗 | |
琴風 | 1985.夏 | 全休 | |
霧島 | 1992.九 | 全休 | |
小錦 | 1993.九 | 2勝13敗 | |
貴ノ浪 | 1999.九 | 10勝5敗 | 特例復帰 |
貴ノ浪 | 2000.夏 | 7勝8敗 | |
武双山 | 2000.名 | 10勝5敗 | 特例復帰 |
出島 | 2001.名 | 5勝10敗 | |
雅山 | 2001.秋 | 全休 | |
栃東 | 2004.夏 | 10勝5敗 | 特例復帰 |
栃東 | 2005.九 | 11勝4敗 | 特例復帰 |
千代大海 | 2009.九 | 0勝4敗 | 引退 |
把瑠都 | 2012.九 | 8勝7敗 | |
琴欧洲 | 2013.九 | 8勝7敗 | |
琴奨菊 | 2017.初 | 9勝6敗 | |
照ノ富士 | 2017.秋 | 0勝5敗10休 | |
栃ノ心 | 2019.春 |
若羽黒は当時現行の特例復帰の規定はないが、参考までに記載している。
特例復帰にて大関復帰した力士は三重ノ海、貴ノ浪、武双山、栃東(2回)の4名5回である。
前置きが長くなったが、今場所栃ノ心のみが達成した記録とは『序盤無傷の5連勝』である。
『初黒星を喫した日』を以下のグラフにまとめた。
全休力士を除いているため全18例であるが『半分以上が2日目まで』に黒星を喫している。
ちなみに特例復帰成功者5例は皆『初日から2連勝以上』である。
そして初日から2連勝して、特例復帰できなかった力士は『大受』『琴奨菊』のわずか2名であり、当時規定のない若羽黒を含めても3名である(面白いことにこの3名は皆9勝に終わっている)。
まず特例復帰の場所にて初日から2連勝としているケースが少なく、且つ『たかが初日から2連勝』が『されど2連勝』となっており、特例復帰の場所においては重要な問題となってくることに驚きである。
そのため過去の事例からすると、栃ノ心の初日から5連勝は『次元の違う好成績』と言っても過言ではないのである。
そして全体の黒星を喫した日の内訳は以下の通りである。
最も黒星を喫することが多い日は『5日目』であり、栃ノ心は過去最大の関門を突破したことになる。
関脇という番付は、周りの横綱・大関の人数によって対戦日の変動が激しい番付とも考えられ、序盤から上位戦が組まれる場合もあれば、中盤~終盤戦に組まれることもある。
今場所の栃ノ心はどのあたりで上位陣と割が組まれるだろうか。
今場所は貴景勝が途中休場し、栃ノ心より番付上位は東関脇 逸ノ城を含めても4名のため、上位戦全敗しても大関復帰の可能性はある。
そして今場所の栃ノ心はその勢い・力量が十分に備わっている。
余談だが以下に『特例復帰に関する唯一の記録』を記載する。
③栃東が特例復帰の場所にて11勝
④千代大海が特例復帰の場所にて引退
そして栃ノ心が初日から5連勝である。
栃ノ心はさらなる記録を更新するのか。
それとも突如衰退してしまうのか。
はたまた『特例復帰場所にて優勝』という大偉業を達成するのか。
明日から中盤戦が始まるが『6日目』は過去のデータでは『最も黒星の少ない日』となっている。
中盤戦以降の栃ノ心に注目である。