まだ55歳という若さだった。
昭和38年生まれの『サンパチ組』の一人であり、サンパチ組の中で最も早く大関、横綱へと昇進した。
優勝経験なしによる横綱昇進、また結果的に優勝なしで土俵人生を終える形となり、後の横綱昇進を厳格化するきっかけとなった。
双羽黒がいたから横綱へ昇進出来なかったと言われているのが、同じくサンパチ組のライバル小錦である。
その理由は2つある。
1つは昭和61年夏場所8日目、双羽黒(当時 北尾)に鯖折りで敗れて膝を負傷したこと。
これが小錦にとって引退まで引きずることになるほどの大怪我となった。
もう1つは上記の横綱昇進への厳格化により、3場所好成績を挙げても横綱昇進を果たせなかったことである。
優勝なし、また素行問題はあったが、双羽黒に対する期待は計り知れないものがあった。
私が生まれる前のことなので、リアルタイムで双羽黒の相撲は見ていないのだが、過去の成績や取り組みは何度も映像で確認している。
千代の富士戦への期待値はどの力士よりも群を抜いて高いように感じられた。
それは同時期に凌ぎを削っていた大乃国、旭富士、小錦よりもである。
スケールの大きな相撲は、本当に才能の塊であると感じた。
実際本当に稽古嫌いだったかどうかは不明だが『才能の北尾(双羽黒)』『努力の保志(北勝海)』と呼ばれる背景は、両者の相撲内容を見ていると何となくわかるような感じがした。
現役引退(正確には廃業)も突然だったが、人生のピリオドも突然だった。
ご冥福をお祈りします。