きょうへいくんの大相撲日記

幼少期より大相撲を愛し、勝手に語ります。

35. 大関昇進場所のあれこれ

春場所も序盤戦が終了した。

5日目に関してはこちらを参照していただきたい。

今場所注目の大関取り 貴景勝が序盤で2敗を喫した。

2横綱3大関との対戦を残しているだけに、序盤で2敗はかなり痛手となっている。

 

そこで今回、大関へ昇進した力士の直前場所について記載したいと思う。

ちなみに年6場所制となった1958年以降の記録で話を進めていく。

年6場所制となった1958年以降、大関へ昇進した力士は『61名』である。

これは後に横綱へ昇進した力士はもちろんのこと、魁傑の2回目の昇進も含めている。

 

まず序盤戦、中盤戦、終盤戦、そして最終成績の平均は以下の通りである。

※単位:勝

  全体 昭和 平成
序盤 4.31 4.25 4.4
中盤 4.11 4.06 4.2
終盤 3.79 3.89 3.64
最終成績 12.21 12.19 12.24

関脇という番付は、周りの上位陣の出場状態にも影響するため、どのタイミングで上位と割が組まれるか難しい番付とも言える。

そのためある程度ばらつきは存在するが、概ね終盤に上位と割が組まれ、序盤、中盤よりも成績が下降する傾向にある。

それは昭和、平成問わず、傾向に大きな変化はないため、成績も昭和、平成共にそこまで変動はない。

 

次に成績に関する人数は以下の通りである。

※単位:人or名

  序盤 中盤 終盤
5勝 30 24 11
4勝 22 21 27
3勝 7 15 22
2勝 2 1 1

今回貴景勝は序盤3勝のため『7人』の中に含まれることになる。

暗雲は立ち込めているとはいえ、まだ場所は半分以上も残されているため、絶望するには早過ぎる。

 

次に中盤戦までの成績は以下の通りである。

10勝0敗 10人
9勝1敗 22人
8勝2敗 17人
7勝3敗 8人
6勝4敗 4人

昇進した力士において、中盤で5敗以上は存在しない。

そもそも直前場所にて10勝で昇進した力士は、北の富士貴ノ花(初代)、稀勢の里の3人だけである。

特に北の富士は8勝→10勝→10勝の合計28勝という本人もびっくりの成績で昇進しているため、あまり参考にならない。

貴景勝は昇進の目安と言われる『33勝』にあと6勝としている。最終成績にすると9勝である。流石に9勝で声がかかることはないだろう。もしかすると10勝でも黄信号かもしれない。

そういった意味でも中盤戦以降、非常に重要である(昇進場所は毎日が重要だろうが)。

 

最後に大関取りの場所において、黒星を喫した日の人数を以下のグラフにまとめた。

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黒星を喫した日の人数


上記の通り終盤戦以降黒星を喫することが多く、また中盤戦の最終日であるの10日目も多い。

意外であるのが『千秋楽に最も黒星を喫している』という事実である。

このデータは『昇進した力士のデータ』であるため、結果論で言えば千秋楽に黒星を喫していても関係ないのだが、14日目終了時点で危うい成績の場合、嫌なデータと言えるかもしれない。

ちなみに貴景勝は3日目に黒星を喫したが、3日目の黒星は過去最小人数の『5人』である。

 

そして貴景勝の序盤戦だけをみると『魁皇の昇進時』と似通っている。

魁皇も3日目、5日目に敗れ序盤で2敗を喫し、中盤戦は9日目、10日目と連敗して中盤を6勝4敗で終える結果となった。

魁皇は8勝→14勝という流れで場所を迎えており、11勝が昇進の目安とされていたため、絶体絶命であった。

しかし終盤戦は1横綱1大関を降しての5連勝で見事昇進を果たした。

 

貴景勝はとにかく気持ちの切り替えが重要だろう。

先場所11勝を挙げ、優勝場所がフロックではないことを証明した。

ここが踏ん張りどころである。

中盤戦以降も注目である。