春場所も序盤戦が終了した。
5日目に関してはこちらを参照していただきたい。
2横綱3大関との対戦を残しているだけに、序盤で2敗はかなり痛手となっている。
そこで今回、大関へ昇進した力士の直前場所について記載したいと思う。
ちなみに年6場所制となった1958年以降の記録で話を進めていく。
年6場所制となった1958年以降、大関へ昇進した力士は『61名』である。
これは後に横綱へ昇進した力士はもちろんのこと、魁傑の2回目の昇進も含めている。
まず序盤戦、中盤戦、終盤戦、そして最終成績の平均は以下の通りである。
※単位:勝
全体 | 昭和 | 平成 | |
序盤 | 4.31 | 4.25 | 4.4 |
中盤 | 4.11 | 4.06 | 4.2 |
終盤 | 3.79 | 3.89 | 3.64 |
最終成績 | 12.21 | 12.19 | 12.24 |
関脇という番付は、周りの上位陣の出場状態にも影響するため、どのタイミングで上位と割が組まれるか難しい番付とも言える。
そのためある程度ばらつきは存在するが、概ね終盤に上位と割が組まれ、序盤、中盤よりも成績が下降する傾向にある。
それは昭和、平成問わず、傾向に大きな変化はないため、成績も昭和、平成共にそこまで変動はない。
次に成績に関する人数は以下の通りである。
※単位:人or名
序盤 | 中盤 | 終盤 | |
5勝 | 30 | 24 | 11 |
4勝 | 22 | 21 | 27 |
3勝 | 7 | 15 | 22 |
2勝 | 2 | 1 | 1 |
今回貴景勝は序盤3勝のため『7人』の中に含まれることになる。
暗雲は立ち込めているとはいえ、まだ場所は半分以上も残されているため、絶望するには早過ぎる。
次に中盤戦までの成績は以下の通りである。
10勝0敗 | 10人 |
9勝1敗 | 22人 |
8勝2敗 | 17人 |
7勝3敗 | 8人 |
6勝4敗 | 4人 |
昇進した力士において、中盤で5敗以上は存在しない。
そもそも直前場所にて10勝で昇進した力士は、北の富士、貴ノ花(初代)、稀勢の里の3人だけである。
特に北の富士は8勝→10勝→10勝の合計28勝という本人もびっくりの成績で昇進しているため、あまり参考にならない。
貴景勝は昇進の目安と言われる『33勝』にあと6勝としている。最終成績にすると9勝である。流石に9勝で声がかかることはないだろう。もしかすると10勝でも黄信号かもしれない。
そういった意味でも中盤戦以降、非常に重要である(昇進場所は毎日が重要だろうが)。
最後に大関取りの場所において、黒星を喫した日の人数を以下のグラフにまとめた。
上記の通り終盤戦以降黒星を喫することが多く、また中盤戦の最終日であるの10日目も多い。
意外であるのが『千秋楽に最も黒星を喫している』という事実である。
このデータは『昇進した力士のデータ』であるため、結果論で言えば千秋楽に黒星を喫していても関係ないのだが、14日目終了時点で危うい成績の場合、嫌なデータと言えるかもしれない。
ちなみに貴景勝は3日目に黒星を喫したが、3日目の黒星は過去最小人数の『5人』である。
そして貴景勝の序盤戦だけをみると『魁皇の昇進時』と似通っている。
魁皇も3日目、5日目に敗れ序盤で2敗を喫し、中盤戦は9日目、10日目と連敗して中盤を6勝4敗で終える結果となった。
魁皇は8勝→14勝という流れで場所を迎えており、11勝が昇進の目安とされていたため、絶体絶命であった。
しかし終盤戦は1横綱1大関を降しての5連勝で見事昇進を果たした。
貴景勝はとにかく気持ちの切り替えが重要だろう。
先場所11勝を挙げ、優勝場所がフロックではないことを証明した。
ここが踏ん張りどころである。
中盤戦以降も注目である。