きょうへいくんの大相撲日記

幼少期より大相撲を愛し、勝手に語ります。

28. 平成の大相撲のあれこれ

大相撲春場所初日まであと1週間である。


この春場所が大相撲では平成最後の場所である。


春場所は『荒れる大阪(春)場所』と呼ばれることが多い。


しかしここ4年間は横綱の連覇が続いているため、荒れている印象が薄いようにも感じる。


元々『荒れる大阪場所』と呼ばれる理由は、昭和28年まで遡る。


簡潔に説明すると、この年に初めて大阪で春場所が開催された年であり、横綱の不振が続いた場所となったため『荒れる大阪場所』と呼ばれるようになった。


そこで今回、春場所はもちろんのこと平成の大相撲を記録に関して振り返っていこうと思う。


平成の本場所は、先場所の初場所が終了した時点で『全180場所』となっている(平成23年春場所中止)。


まずそれぞれの場所で優勝を果たした力士の番付を見てみると以下の通りである。

 
横綱 14 20 17 19 23 19
大関 12 7 9 7 4 9
関脇 3 0 2 2 0 0
小結 0 1 1 0 1 1
平幕 2 1 1 2 2 1


『荒れる大阪場所』と称されているが、秋場所に次いで横綱が優勝を果たしている。


さらにこれを平成16年~平成30年に絞ると

 
横綱 10 12 9 12 12 14
大関 4 2 4 2 3 0
関脇 1 0 1 1 0 0
小結 0 0 0 0 0 1
平幕 1 0 1 0 0 0


という結果であり、関脇以下の優勝が一度もない。


次に『優勝力士の平均成績』だが以下の通りである。

  全場所 元年~15年 16年~31年初
13.84 13.53 14.13
13.48 13.13 13.86
13.7 13.4 14
13.53 13.27 13.8
13.67 13.73 13.6
13.53 13.33 13.73


全場所を通じて見てみると、ここでは春場所が最低成績であるため、荒れると言われる所以にはなる。


しかし平成後半でみると最低成績ではない。


そもそも平成前半と平成後半の成績に大きな開きがある。


この背景は、平成後半に活躍した朝青龍白鵬の『モンゴル二強横綱』の影響が大きい。


平成初期は千代の富士を筆頭に、北勝海大乃国そして平成初の横綱昇進を果たした旭富士を含めた4横綱時代であった。


しかし平成3~4年の間に横綱不在となり、この間『曙貴時代』の序章であり、突出した力士は存在しなかった(余談だが世間一般には『曙貴時代』より『若貴時代』の方が伝わりやすいかもしれない)。


そして平成5年に曙が横綱へ昇進し、遅れること1年半後に貴乃花横綱へ昇進した。


その後しばらく『貴乃花一強時代』が続き、大きな変動なく経過していたが、平成11年より貴乃花、曙の不調により優勝争いのレベルも低下していった。


少し時代を飛ばすが、平成15年に貴乃花が引退し、入れ替わる形で朝青龍横綱へ昇進した。


昇進した年は少々安定感に欠けたが、平成16年以降は正に無敵だった。


そして平成19年に白鵬横綱へ昇進。

その間も様々な出来事があったが、簡潔にまとめると『無敵』から『最強』へそのまま時代は継承され、現在に至るわけである。


全勝優勝の回数は白鵬14回、朝青龍5回。さらには日馬富士も3回。


対して曙貴時代は貴乃花4回、武蔵丸1回の合計で5回に留まる。


余談だが、曙は優勝回数二桁を数えながら一度も全勝経験なしであり、これは史上唯一である。


そのため平成後半の方が成績は高水準となっていると考えられる。


唯一秋場所のみ平成前半の方が、成績が高い理由として考えられるのが『貴乃花秋場所に強かった』ということである。


平成6~10年まで5連覇を果たし、また平成6~8年は3年連続全勝である。4回の全勝の内、3回が秋場所なのである。


『なぜ秋場所に強いのか?』と聞かれたとき難しいところだが、千代の富士九州場所に強かったなど、力士と場所の相性というものは少なからず存在するということだろう。


最後に優勝決定戦の回数は以下の通りである。

  全場所 元年~15年 16年~31年初
8 6 2
7 3 4
8 4 4
3 3 0
4 1 3
6 4 2
36 21 15


これも春場所が最高ではないが、平成後半に限ってみると夏場所と同率1位である。


平成2年は3人による巴戦。

平成9年は4人による決定戦。

平成12年は史上初の幕尻優勝。

そして平成29年は稀勢の里奇跡の大逆転優勝。

記憶に残る場所が多いことも事実である。


平成最後の場所。

平成最後の荒れる大阪場所。

果たしてどのような展開になるだろうか。

場所直前に再度展望の記載をしたいと思う。